4-2 中道
仏法は良く〝中道〟を説くと言いますが中道とは、世の中の存在を「有る」と見るか「無い」と見るかといった見解に立った時、「有るのでもなく、無いのでもない」と見るのが正しいとする仏法の概念の一つです。 この「有るのでもなく、無…
仏法は良く〝中道〟を説くと言いますが中道とは、世の中の存在を「有る」と見るか「無い」と見るかといった見解に立った時、「有るのでもなく、無いのでもない」と見るのが正しいとする仏法の概念の一つです。 この「有るのでもなく、無…
「諸佛世尊は唯(ただ)一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したもう。」 法華経方便品第二に示されるこの言葉は、仏はただ一つの大事をなす為だけにこの世に現れるという意味です。これを「一大事の因縁」といいます。「一大事」と…
法華経の方便品第二に示される 「 正直捨方便 」の一節は、「正直に方便の教えを捨てて」と読むのですがそれを「法華経以前の教え(経典)を捨てなさい」とお釈迦様は教えられているのだと思い込んでいるのが日蓮正宗及びその教学の…
3-1 で紹介しました不垢不浄(ふくふじょう)を思いだして下さい。 世の中にはきれいとか汚いとか、善も悪も、損も得もないのです。私たちが認識する対象にそのような特性が具わっているのではありません。そのことを…
正法・像法時代の修行者は過去に仏と縁をした本已有善の衆生です。ですから自身のアラヤ識に過去世での仏様との記憶が眠っています。その記憶を禅定や瞑想といった修行によって蘇らせて仏性を得ます。 しかし末法の衆生は過去に仏と…
仏教における世界観は欲界・色界・無色界からなる次の図に示す三界です。この図の中で左側の項目の欲界が凡夫が六道輪廻する世界です。右側の項目を見ると天界の一番下の位がくい込んで地獄・餓鬼・畜生・人・天となって修羅がかけてい…
表層意識から深層意識のマナ識・アラヤ識へと意識を到達させることを目的とした修行法に小乗仏教で説かれる「瞑想」があります。 小乗仏教のことを近年では上座部仏教ともいいますが、「マインドフルネス」といった言葉で現在の若者…
我々は外界の様子を五感によって知ることが出来ます。眼を開くと空の色と大地の色が眼に飛び込んで来ます。耳をすませば小川のせせらぎや小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。匂いを嗅ぎわけることで美味しく食べられるものと腐ったも…
子供のことを「分別が無い」と言いますが、人は分別をわきまえることで大人に成っていきます。しかし仏教では分別というものを良いことと考えていません。自我意識が自分と他者を分別し、その分別から煩悩が生じている訳ですから分別の…
七識に潜む自我意識によって自他の分別が生じる訳ですが、その下位にある八識のアラヤ識では自我意識は存在しないので自他の分別は生じません。自我を打ち消すことで辿りつく境地が「而二不二」です。 而二不二は、紙は裏と表の二…