3-5 御本尊

 正法・像法時代の修行者は過去に仏と縁をした本已有善の衆生です。ですから自身のアラヤ識に過去世での仏様との記憶が眠っています。その記憶を禅定や瞑想といった修行によって蘇らせて仏性を得ます。

 しかし末法の衆生は過去に仏との縁が無い本未有善の荒凡夫ですので、末法においてそのような禅定や瞑想修行を行っても仏性を得ることは出来ません。

 ですから大聖人様はそのような末法の凡夫でも仏性を得られるように御本尊を著されました。その御本尊に向かってお題目を唱えれば自然に仏界に至るのです。

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」『法華初心成仏抄』

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ、只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」『日女御前御返事』


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