3-3 瞑想

 表層意識から深層意識のマナ識・アラヤ識へと意識を到達させることを目的とした修行法に小乗仏教で説かれる「瞑想」があります。

 小乗仏教のことを近年では上座部仏教ともいいますが、「マインドフルネス」といった言葉で現在の若者の中でその「瞑想」が流行っていたりもします。

「マインドフルネス」は、言葉を離れてあるがままを感じ取ることで「気づき」を得るといった、五感で「見る」意識から心で「観る」意識への変化を主として実践します。分別法である「言葉」を離れ、より深い深層意識へと心を向かわせることで煩悩を寂滅した安らぎの境地を目指すものです。

 瞑想にはヨーガや禅、禅定や座禅といったものが古くからありますが、ヨーガは瞑想 (サマーディ) をするための技法でインドが発祥です。それが中国に伝わり瞑想を中国の漢字に訳したのが禅定です。禅定は「禅」とだけで表記されることもあり、また反対に「定」とだけで表記されることもありますが、どちらも「禅定」のことで瞑想を意味しています。この「禅定」を、坐って行うのが「坐禅」です。

 近年、スクールとして流行っているエクササイズ的要素を備えたヨガは、精神性を説かず宗教的な要素を極力排除し座法や呼吸法に特化させたものです。

 そのようなヨガは健康法として今日、広く社会に認識されていますが、瞑想の精神性を一般の人でも受け入れ易い形にアレンジしたのがマインドフルネスで、集中力を高めたりうつ症状の緩和に効果があるとされ、欧米を中心に流行し、グーグル、ナイキ、アップル、インテル、ゴールドマン・サックスといった世界的な優良企業で現在取り入れられたりもします。

 仏道修行として行われる禅定は、 初禅・第二禅・第三禅・第四禅の 四段階に分かれます。これを四禅と言うのですが四禅は瞑想の「境地としての禅」と転生する場の「境涯としての禅」との二種類のものが説かれていまして前者を定静慮(じょうじょうりょ)、後者を生静慮(しょうじょうりょ)と言います。

  禅定は、尋(じん)、伺(し)、喜(き)、楽(らく)、一境性(いっきょうせい)という5つの心から始まる心の状態で、この5つの心を「五禅支(ごぜんし)」といいます。

五禅支とは、

 ・尋・・・対象に向かっている心。
 ・伺・・・対象に向かっている心を維持する心。
 ・喜・・・喜び。高揚感。
 ・楽・・・身体的な楽。安楽感。
 ・一境性・・・統一感。一体感。

このような心の状態です。

 初禅は、欲にまみれた世界を離れ尋・伺を伴いながらも離による喜・楽と共にある状態で、第二禅は尋・伺が止み、内清浄による喜・楽と共にある状態。第三禅は喜を捨して正念(気づき)と正見(正しい見解)を得ながら楽と共にある状態。第四禅は楽が止み、一切の受が捨てられた不苦不楽の状態です。

 ・初禅 ・・・尋、伺、喜、楽、一境性
 ・第二禅・・・喜、楽、一境性
 ・第三禅・・・楽、一境性
 ・第四禅・・・一境性


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