4-6 析空と体空

 お釈迦様がこの縁起という見方を声聞の弟子達にさとす為に説いた教えが阿含経です。阿含経典の中でお釈迦様は、無我や五蘊、縁起、十二縁起といった教えで縁起という仏法独自のモノの見方を諭します(中道)。

 お釈迦様が直接説かれた教えは阿含経だけだと世間一般に言われています。あとの経典は説法を聞いたお弟子さん達が後の世にまとめたものだと。そしてその阿含経には〝空〟は説かれていません。空は般若心経の中で詳しく説かれています。それをもって「お釈迦様は〝空〟を説かれていません」という人もおられますが、無我や五蘊、縁起、十二縁起をもって縁起というモノの見方、即ち空観をちゃんと説いています。

 ただ、お釈迦様が説かれた空は、十二縁起を基とした縁起だったため声聞の弟子達は実体思想でしか縁起を理解出来ませんでした。

 仏法は「モノの有る無し」ではなく、「人の心のありよう」を説いた教えです(人の最終境涯として仏を説く)。モノの方を説く教えを心の外をさして仏法では〝外道義〟と言います。それに対し心の内を説く仏法を〝内道〟と言います。

 内道として説かれた中道の〝縁起〟を実体思想の外道義で展開した空理(空の理論)が析空です。

 こちらが池田会長が説く析空です。
 池田会長の三諦論

析空は、モノを細かく細分化して見る(実体思想の)〝空〟で体空は体感として観じとる〝空〟と一般的には言われますが、これは「モノの見方(外道)」として空を展開するか、「人がモノを認識するありよう(内道)」として空を展開するかの違いです。

阿含経で説かれる縁起を基として展開された小乗の空は、「モノの有る無し」の実体思想(外道義)で展開された空理です。それに対し、竜樹が大乗で展開した〝空〟は般若心経で説かれる「五蘊皆空」を基とした〝相依性(相互依存)〟の縁起です。

竜樹は、それまでの小乗の誤った空の解釈(析空)を正す為に、般若心経をひも解きその中で説かれている「五蘊皆空」や「受想行識亦復如是」をもって、五蘊全てを空じる法空(法無我)を主張し、小乗が主張する人空(人無我)を破折して「色即是空 空即是色」の真理を明かします。

 【色即是空】
 「この世のあらゆるモノや現象には実体はない(空)」

 【空即是色】
 「実体がないことが、この世のあらゆるモノや現象を形成している(虚像=仮)」

この竜樹の空理(二諦説)は、後に天台智顗の空・仮・中の三諦説へと進化していきます。

竜樹が顕した『中論』は、とても解りにくい文章で表現されています。日本における仏法学の第一人者であられた中村元博士(号)が解説された著書〝竜樹〟は、卓越した仏法の知識をもっておられた中村先生だからこそ顕すことが出来た一冊だったと思います。先生はこの著書の中で竜樹の中論の中心問題を「縁起の相依性(相互依存)」と述べておられます。

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