6-2 法四依と人四依

 お釈迦様が涅槃に入る一日一夜に説かれた『涅槃経』は、後世の人々が正しく仏教を習得していく為に遺言的な教えが説かれた経典です。

 その涅槃経の四依品で示されている法四依は、

 依義不依語(義に依りて語に依らざれ)
 依智不依識(智に依りて識に依らざれ)
 依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
 依法不依人(法に依りて人に依らざれ)

 の四項目です。「依義不依語」は、法の意義を拠りどころとし、表現された言語・文章に依ってはならない。「依智不依識」は、真の智慧を拠りどころとし、六境に起こる妄想の心識に依ってはならない。「依了義経不依不了義経」は、了義経(仏法の道理が完全・顕了に説き尽くされた経典)を拠りどころとし、不了義経に依ってはならない。「依法不依人」は、法そのものを拠りどころとし、人に依ってはならない。といった意味で。法華経を学ぶにあたっての心得を示されたものです。

 最後の「依法不依人」は、ネットでの法論などで「その衣文は?」と言って皆さんよく使われておられますので広く知られている言葉ですが、「依義不依語」も忘れてはなりません。文字よりもその内容をよく吟味して考えなさいとお釈迦様は云われております。

 竜樹が自身の論書『中論』で顕した〝空〟について、「お釈迦様は空など説いていない」と言われる方がおられますが、原始仏典であるパーリ語経典の中に記述として残っています。

「常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ」『スッタニパータ』1119偈

 また、パーリ語経典の「中部」に位置する漢訳経典の『中阿含経』にも記述があります。

「この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空(欠如)ではない」 『小空性経』(中部経典、中阿含経)

 竜樹は、それまで解明されていなかった般若心経を解明することで、お釈迦様が阿含経の中で説かれた「縁起・無我」を空理を用いてより詳しくひも解いていきました。

 中道として説かれた阿含経で示された縁起は、実体に対する執着(実体思想)から解脱する為に説かれた教えで、実体思想が強かった声聞の境涯の弟子達は実体思想でしか縁起を理解することが出来ませんでした。因が時間の経緯によって果をもたらすという此縁性縁起(しえんしょうえんぎ)がそれにあたります。

 それに対し竜樹が自身の論書『中論』で顕した縁起は、実体思想から抜け出た相依性縁起(そういしょうえんぎ)でした。相依性縁起とは、時間経緯によって生じる縁起ではなく相互関係から生じる縁起で、般若心経で説かれる五蘊皆空を禅定で体現し、実体から向け出た空観という仏の世界観に竜樹は入っていきます。この実体から抜け出た境涯を縁覚といいます。

 声聞=未だ実体思想の境涯
 縁覚=実体思想から抜け出た境涯

次へ >>