「依義不依語」の教えにそって、言葉に依らずその内容で見ていく時、真実がまた一つ顕れてきます。今まで仏教学の世界ではどのような経緯で大乗仏教が起こっていったのかはっきりとした解明がなされておりませんでした。
それは学術者達がひたすら文献に依るところを研究し続けた結果まねいた迷走です。仏教学においては当然その内容も重要視して考えてきてはいましたが、こと〝空〟の解明に関しましてはその解説書にも問題点が見受けられます。
それは、学術研究の結論が、まったく正反対の主張さえなされていることが少なくありません。例えば、ある一連の学者の主張に依れば、空の思想は絶対主義であると主張するが、他の学者によれば、空の思想は相対主義であると言います。さらに他の学者によれば、空の思想はニヒリズムであるといい、他の学者によればは空はニヒリズムではないと主張する。
その他にも、空の思想は否定主義であるとか、空の思想は唯名論であるとか、きりがない程、空の思想はさまざまな思想として解釈されているのが仏教学における空の解説書の現実です。
仏教学の日本における第一人者であられた中村元博士(号)の竜樹の中論の解説書『竜樹』は、その論点を〝相依性縁起〟にもっていっている視点の鋭さは流石中村先生だなと感心させられますが、それでも空を「モノの有り様」と読み手に誤釈させてしまう表現になってしまっているのが残念です。
空は「モノの有り様」を説いた理論ではありません。仏道修行において実体から解脱して仏の世界観である空観へ入っていく〝従仮入空観〟を説いた理論です。
声聞から縁覚に昇格した竜樹は、肉体という実体から抜け出た意識だけの空間(禅天)に入り菩薩の境涯へと進んでいきます。縁覚は実体からは抜け出ているものの、未だ自我意識からは抜け出せていません。唯識で言う所の末那識です。阿頼耶識に入ることで自我意識から離れた利他の菩薩の境地に至ります。この境涯の昇格こそが仏教が小乗から大乗へと発展していった要因であったと言えるでしょう。