6-1 大乗非仏説

 昨今、大乗仏教は後世の人達が造ったもので「大乗は仏説に非(あら)ず」といった〝大乗非仏説〟を主張する人達がおられます。

 そもそも仏教学においては、「お釈迦様が直接説かれた経典は一つもない」というのが定説です。インドのバラモン教は「ヴェーダ」を二千年も口伝のみで伝えているように、古代インドでは経典は文字にしないのが常識でもありました。

 お釈迦様も自身の教えを文字という概念で顕すことで自身の悟り得た内容が概念化されることを避ける為、文書化を許さずひたすら説法によって仏教を広めていかれました。

 そして釈尊滅後千年経ってシルクロードを経由してインドに渡った僧侶、法顕(337年 – 422年)が釈迦の教えを中国に持ち帰るのですが、法顕は翻訳した経典の殆どが文字ではなく口伝であった事を後世に伝えています。

 そういった経緯から「文字化された経典」としての成立は、中国で法顕が翻訳した『阿含経典』(中阿含経・雑阿含経・増一阿含経)や『大般涅槃経』などの漢訳経典のほうが、5世紀頃に編集されたインド部派仏教のパーリ仏典よりも成立が古いことが今日では明らかになっています。

 成立の古さから言えば、一番新しいのがチベット語訳の経典、次がパーリ経典やサンスクリット経典、最も古いのが、漢訳経典となります。

 しかし仏典はその歴史の過程で編纂・増広・翻訳が繰り返されており、パーリ仏典こそが歴史過程においてインド部派仏教時代の形態を強く留めて現存する唯一の仏典だと上座部仏教は主張します。

 そういった意味で言えば、パーリ仏典の方がお釈迦様が直接説いた教えに近い仏典と言えるのでしょうが、どちらにせよお釈迦様が亡くなった後に造られた経典であることに変わりはありません。

 そうなるってくると大事なのは、〝成立起源〟ではなく「経典の中で説かれている内容」になってきます。

 そこで天台智顗(538年 – 598年)は、中国に伝わってきた膨大なお釈迦様の教えを全て読み解き、その内容をもとに〝五時八教〟という教判を設け分類分けする事にしました。

 人の全ての概念からの解脱を説く仏教では、言葉や思考といった概念、最終的には時間という概念からも抜け出た究極の真理の世界、いわゆる真如と呼ばれる次元に入って悟りを得る訳ですが、「現在・過去・未来」といった時間の概念から抜け出ているこの次元において、お釈迦様は未来に対する忠告(予言)も残されております。

 お釈迦様が入滅なされる直前に説かれた『涅槃経』の中で〝人四依〟として「仏法を正しく語り継ぐ四種の聖者」が滅後の世に顕れると予言なされております。

 仏法は説かれている全ての経典の内容を把握して初めてお釈迦様の教えを正しく理解する事が出来ます。

 正しく仏教が理解出来てくるとお釈迦様が予言なされた「仏法を正しく語り継ぐ四種の聖者」が誰だったのか、末法の世にいる私達はそれを明確に知り得る事が出来ます。

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