6-4三諦説

 仮・空・中は、仏法の世界観である三界の世界観を意味します。まず仮とは三界の中の衆生の住む世界である欲界です。唯識でゆうところの五蘊で生じる実体(実在)の世界です。この実在の世界における仏が生身の肉体をもって存在した応身仏の釈迦(始成正覚)です。

 お釈迦様は悟りを開いて法華三昧の禅定で、禅天という欲界の更に上に位置する天上界に入ります。この実体から抜け出た世界が空観という仏の世界観(色界)です。この世界での仏の事を報身仏といいます。実在の世界の応身と違い報身仏は肉体から解脱しているので意識だけの存在になります。(唯識)

 欲界=五蘊(仮)応身仏
 色界=五蘊皆空(空)報身仏

 お釈迦様は原始仏教において三界を説かれています。

 https://www.bukkyouoshie.com/tenkai/jhana.html
 https://true-buddhism.com/teachings/uchoten/

 三界の中の禅天(色界)がどういった世界なのか上のリンク先の原始仏教専門のサイトで詳しく説明がなされておりますのでご参照下さい。

 仮 — 欲界(応身)六道
 空 — 色界(報身)四聖
 中 — 無色界(法身)真如

 お釈迦様は、原始仏教の中で三性説を説かれていたことが『般船三味経』という初期仏典に示されていることが仏教学では解明されています。この『般船三味経』は紀元前後に成立した仏典で、華厳経の十地品のもとなった十地経の内容がここに記されています。

 お釈迦様は〝縁起〟を真理として説かれましたが、〝縁起〟は空理(空の理論)を正しく理解出来ないと本当のところ(縁起の真理)は理解出来ません。

 空理とは、実体思想から抜け出る為の理論です。空理を正しく理解出来てはじめて仏の世界観である空観に入れます。その空間に禅定で入ることに成功した人物が竜樹や無着・世親兄弟達です。竜樹は空理(二諦説)を専門に顕し、無着・世親兄弟は唯識(三性説)を専門に顕しました。空観に入れなかった修行者達は実体思想にとどまり仏法を実体思想で展開します。それが小乗仏教です。

 <小乗仏教>
 実体における真理=仮諦 — 応身(釈迦)

五蘊皆空で実体から抜け出た竜樹や無着・世親兄弟達は、空観に入って空の世界観を顕していきます。

 <大乗仏教>
 空観における真理=空諦 — 報身(観音←釈迦の化身)

 これが竜樹が解明した二諦説です。解明したと書く意味は、お釈迦様は説いていたがその時代の弟子達は理解に至らなかったが後の世になって研究が進むことでその深い理論が解明されていったということです。

 <竜樹の二諦説>
 実体における真理=此縁性縁起(仮諦)
 空観における真理=相依性縁起(空諦)

そして世親が顕した唯識は仏が悟りにいたった理論を詳しく顕したものです。

 <唯識>
 悟りの理論=中諦 — 法身(大日法身←釈迦の化身)

世親が唯識で顕した三性説は、時間という概念から抜け出た世界観、阿頼耶識です。

 竜樹=実体から抜け出た世界観=空(末那識)
 世親=時間から抜け出た世界観=中(阿頼耶識)

 法華経はお釈迦様が法華三昧という禅定の中で説かれた教えです。時間を超越しているから久遠から多宝如来や地涌の菩薩などが姿を顕します。その法華経の意味するところを解明したのが天台智顗です。天台は、実体で展開する縁起が小乗が展開した此縁性縁起で、実体思想から抜け出た竜樹が大乗で展開した縁起が相依性縁起であることに気づき、そして法華経の中でその二つの縁起を更に超越した「時間という概念から抜け出て展開される縁起」があることに気づきます。

 それが時間軸を抜け出た因果具時の縁起です。

 実体に即した縁起(仮諦)
 実体から抜け出た縁起(空諦)
 時間軸から抜け出た縁起(中諦)

 この三つの縁起はどれも縁起ゆえに無我・無自性であり、変わらずに有り続ける存在はあり得ないというお釈迦様の説いた、「諸行無常」の教えです。正しい仏教はどの時代にあっても「諸行無常」の教えは貫かれています。ですから日蓮大聖人も大乗で説かれる「永遠の仏」を全て誤った教えでると『一代聖教大意』の中で〝厭離断九の仏〟と破折されています。

 仮諦 — 此縁性縁起
 空諦 — 相依性縁起
 中諦 — 因果具時の縁起

この三つの縁起が、

 実体に即した縁起(仮諦)→ 応身如来
 実体から抜け出た縁起(空諦)→ 報身如来
 時間軸から抜け出た縁起(中諦)→ 法身如来

 として凡夫の一身に顕れる教えが法華経で説かれた一念三千という縁起の法です。一念三千は縁起の法です。縁起とは「変わらずに有り続ける存在はあり得ない」とするお釈迦様の「諸行無常」の教えです。

 天台智顗が法華経で説かれたその〝縁起〟の一念三千の理論を〝解明〟し、日蓮大聖人がその具体的実践法を示されたのです。

 現代の仏教の中では、仏も如来も同じ仏の意味だと思われています。それは経典にどちらも仏のように記されているからです。記した人達は意味を理解出来ないが、仏の言葉を取り合えず残す作業を行ったのです。しかし、未だにその意味が理解出来ずにいる人達は、「仏も如来も同じ仏の意味です」と説明します。

 しかし、それは意味が解っていないだけで、実際は仏と如来は異なります。その違いを理解出来ていた竜樹や世親、天台、日蓮だったから、

 凡夫=仮(欲界)
 仏=空(色界)
 如来=中(無色界)

 とお釈迦様が説いた三界の世界観を空・仮・中として〝解明〟していったのです。説かれていたものを後世のものが〝解明〟していったのです。捏造して自説を説いていった訳ではありません。

 日蓮大聖人が示されたその具体的実践法がこれで、

 http://mh357.web.fc2.com/sanninn.html 三因仏性

 これは永遠の不滅の仏や仏界を言うのではなく、一念三千という縁起(物事は縁によって常に流動的に変化し続ける)の法門を顕しています。一念三千は諸行無常を説いた法門です。世の中に変わらずに有り続ける存在は何一つ存在しないというお釈迦様が説かれた縁起という真理です。

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