5-4 三因仏性

 仏性とは三因仏性のことですが、具体的にその三因からどのように成仏という果徳を引き出すかを詳しく説明致します。 まず、仏性について『総勘文抄』で大聖人様は次のように御指南あそばされております。

「三世の諸仏は此れを一大事の因縁と思食して世間に出現し給えり一とは中道なり法華なり大とは空諦なり華厳なり事とは仮諦なり・阿含・方等・般若なり已上一代の総の三諦なり、之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり 因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり 縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず 善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり」

「総の三諦」を知る時、仏果を成ずると大聖人様は仰せです。大本となる三諦があるということをまず知らなければなりません。

 ここでは「一大事の因縁」を引き合いに出されて説明なされていますが「一とは中道なり法華なり大とは空諦なり華厳なり」と、まずは中道を法華として華厳を空諦として「事とは仮諦なり・阿含・方等・般若なり」ですから阿含・方等・般若が仮諦であると仰せです。中道を法華とする意味は、「中諦=南無妙法蓮華経」ということです。

 次の華厳を空諦とする意味は、華厳経に説かれている「心は工(たくみ)なる画師の如く種種の五陰を造る」の文を指してのことで、自身の心が造りだす五陰世間のことです。自身の心の状態が変わることで立ち上がってくる世界観も変わってくる「空諦における一念三千の世界観」の変化で、大乗で説く縁起(相依性縁起)がこれにあたります。

 阿含・方等・般若を仮諦とする意味は、阿含経で説かれる「縁起・無我」を中心とした「実体を仮とする真理」を指しておりますが、小乗で説く縁起(此縁性縁起)を中心に展開される実在の世界の「仮諦の一念三千」です。

「中諦=南無妙法蓮華経」を説明しだすと長くなりますのでまたの機会にするとして、取り合えずここでは「中諦の一念三千」ということに留めておきます。

 このように〝総〟の三諦と仰せのように三諦がそれぞれに空・仮・中(一念三千)するということです。 そしてこの「総の三諦」と「仏性の三因」が因と果の関係となります。

 まず、〝応身〟は人間の認識にそって顕れる仏ですので〝相〟としての「御本尊」、 〝報身〟は悟りへと導く智慧ですので「法華経の智慧」、そして法身は「南無妙法蓮華経」ということになります。そして〝御本尊〟を縁因として〝法華経〟を了因とし、正因を〝南無妙法蓮華経〟とする「相・性・体」を三如是として十如是が働くことで「応身・報身・法身」の三身が凡夫の一身に顕れて即身成仏の本仏と成ります。

「始の三如是は本覚の如来なり、終の七如是と一体にして無二無別なれば本末究竟等とは申すなり、本と申すは仏性・末と申すは未顕の仏・九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と 差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり」

『一念三千法門』


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