3-2 煩悩
我々は外界の様子を五感によって知ることが出来ます。眼を開くと空の色と大地の色が眼に飛び込んで来ます。耳をすませば小川のせせらぎや小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。匂いを嗅ぎわけることで美味しく食べられるものと腐ったも…
我々は外界の様子を五感によって知ることが出来ます。眼を開くと空の色と大地の色が眼に飛び込んで来ます。耳をすませば小川のせせらぎや小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。匂いを嗅ぎわけることで美味しく食べられるものと腐ったも…
子供のことを「分別が無い」と言いますが、人は分別をわきまえることで大人に成っていきます。しかし仏教では分別というものを良いことと考えていません。自我意識が自分と他者を分別し、その分別から煩悩が生じている訳ですから分別の…
七識に潜む自我意識によって自他の分別が生じる訳ですが、その下位にある八識のアラヤ識では自我意識は存在しないので自他の分別は生じません。自我を打ち消すことで辿りつく境地が「而二不二」です。 而二不二は、紙は裏と表の二…
七識までの識層は死とともにその働きを停止しますが、人が死んで肉体が滅びて尚、存在する意識それが七識よりも深いところにある八識のアラヤ識(阿頼耶識)です。「無没識」とも呼ばれるこの八識は、臨死体験や前世療法で感じられると…
自我は色・受・想・行・識といった五蘊によって生じます。それを詳しく説明すると難しくなるのでここでは簡単な説明に止めておきます。 人は目・耳・鼻・口・肌といった五感を使って外界の情報を感じ取ります。自分の手を自分の手と…
眼の前に二つの手があるとします。片方はあなたの手。もう片方は他人の手。二つの手に自他の分別が生じます。自分の手は自分の想い通りに動かすことが出来ますが、他人の手の方は自分の想い通りには動かせません。これを自我意識といい…
創価学会が説く「一念三千の法門」も日蓮正宗が説く「一念三千の法門」もさほど違いはありません。どちらも人の一念には三千の種類があるといった解説です。 日蓮正宗の一念三千http://www.geocities.jp/sh…
では、実体(仮の姿)にとらわれない判断とはどのような判断なのかを例え話を用いて解り易く説明していきます。 その前に少し、仏教のお勉強をしておきましょう。 お釈迦様は「実体有り」を外道として、「無我・無自性」を説かれ…
今回は、明らかに罪を犯した加害者とその加害者が犯した罪に苦しむ被害者の関係で例え話をしてみます。 交通事故で愛する我が子を亡くした女性がいたとします。彼女は加害者のことをひたすら憎んで生きていました。しかし仏法にめぐ…
例え話を一つ聞いてください。 パン屋さんでお金を払わずに1つのパンをふところにしまい、持ち帰った男がいたとしましょう。この男は、社会的に見れば明らかに窃盗犯です。彼のことを人は泥棒と罵るでしょう。しかし、その男には、…