2-5.無分別

 七識に潜む自我意識によって自他の分別が生じる訳ですが、その下位にある八識のアラヤ識では自我意識は存在しないので自他の分別は生じません。自我を打ち消すことで辿りつく境地が「而二不二」です。

  而二不二は、紙は裏と表の二つの異なる側面がありますがその両側面を備えてはじめて一枚の紙と言えるように、二にして二にあらずといったことを意味する言葉です。自他を分別するのではなく他者の存在があるから自身の存在があるんだと思える心で、電車の中で立っている人が居るおかげで自分が今こうして座っていることが出来ているんだと思える他者の存在の上に成り立つ自身の存在の有り様を認識する心です。

 自他の分別から離れることで八識の而二不二の無分別の境地に辿りつきます。「無分別」という言葉は創価学会や日蓮正宗の人達には聞きなれない言葉だと思いますが、実は仏法ではこの無分別の法が説かれています。大聖人様も『三世諸仏総勘文教相廃立』P.561の中で、

「方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、無分別の法とは一乗の妙法なり」

 と仰せになり、釈迦が方便品の中で言われた「三世の諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」の言葉を引用されて妙法とは無分別の法であるとのべられています。


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